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もずWrite

アラサーで始める備忘録

この世に生を受けたからには

何か人の為、世の為になるようなことを成したいと思う。

そうでなければ生を受けたのに「もったいない」

 

それが結婚して子供ができて、立派に独り立ちさせて…ということ。

あらゆる人を幸福にする何かを開発した、発明したこと。

そのどちらも尊いことだ。

 

しかし、俺は今特別気にかけなければならない嫁と子供は居ない。

少子高齢化が社会問題の日本においては結婚していない加担者の側である。

ならば人・世の為に何か貢献することで存在意義を示すしかない。

 

今の仕事を考えると、決して万人の為の仕事ではない。

一部の生涯学習に興味が会って訪れる人。

小中学生が地域学習の為に学校の授業の一環で連れて来られる場合にのみ、その存在意義があり、多くの人を相手にする仕事ではない。

 

どうせやるならデッカイことをしよう。

 

これに尽きると思う。

NOと言えない日本人ではないのではっきり言う。

今の仕事は限られた人だけを相手にする、郷土愛がなければやっていけない仕事だ。

それに従事し続けられるほど郷土愛は持ち合わせていない。

どちらかといえばお金の為に仕事をするスタンスなので、楽しめないのはダメ。

ならば、楽しくて万人に貢献できる仕事をすれば良いじゃん。

すると、大成するかしないかはさておき、ロボット工学を大学で学んだ身としてはこれを研究開発していくことに人生の時間を費やしたいと思うのだ。

そうなると世の中の為というのは表向きで、自分が楽しめる人生にしたいということが主軸となる。

もちろんタダで研究開発はできないので金を得るために策を弄さなければならない。

けど、そちらの方がよっぽども嫌々仕事するより健全かつ意味があるという考えだ。

 

先人が残した文化を継承して語り継ぐことも素晴らしいことだ。

それを否定しない。

やりたいかどうかと問われたら「やりたくない」だけのこと。

 

もっと研究してガ○ダムみたいなのをつくったり、ア○ムつくったり、T-80○つくったり…新しいことを手がけたい。すべては自分が楽しいと思えることのために。

 

友達の良し悪し

春ですね。

一年生ですね。

ともだち100人できるかな?

 

友達って何だ?

調べると、

「互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。」

だそうだ。

 

ふーん。

じゃあ休みの予定を合わせてどこかにいく場合、こちらが相手の都合に合わせてばかりいるとしたらそもそも対等じゃないよね?

それって友達じゃないんじゃない?

 

かくいう俺は土日が休みの人向けの仕事をしているので、月曜日と他の曜日が休みだ。

だから他人との休みが合わない。

 

そんな中で旅行をしようという計画をすると、決まって俺が土日の休みに合わせて休みを取る形になる。

 

そりゃ、テメェらは土日が休みだから良いだろうよw

けど、俺は土日が仕事だっつーのw

 

というわけで、こちらの休みを配慮しない奴ってのは友達じゃないよ。

 

もちろん最近のことになるが、コイツとはFO。

こちらから連絡をする事は二度とない。

 

変わって年に何度でもないが、予定を合わせて近況報告会という名の飲み会をする高校の友人たち。

この人たちは予定を合わせて、こちらの勤務形態に理解を示して約束をドタキャンすることのないいたって普通の良識のある人間だ。

 

後者の人間は就職を機に上京して離れてはいるが、心の距離は近い間柄。

前者は地元同士であるが、心は離れていて二度と縮まらない間柄。

 

どちらが友達と呼べるかは明白であるが、

シンプルな話、自分を大切にしてくれない奴なんて縁を断てってこと。

 

その方がお互い傷つけることも、傷つけられることもない。

そりゃ同じ年に生まれて、同じ箱(教室)に押し込まれた手前仲良くなることがあったかもしれないが、永遠不滅というわけではない。

 

彼氏彼女ができて別れる事があるように、人間には出会いと別れが当然の事。

別れはマイナスでなく、むしろプラスであると知っていれば腐れ縁で悩むことは無い。

 

あぁ、コイツと一緒に居ても楽しくないな・得をしないな…

そう思ったら縁を切ることに躊躇しない。

 

「互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。」

 

そう思える人間と長く付き合いたいものだ。

 

 

 

デジャブについての考察

我々は割と10年後や50年後くらいの未来からタイムリープしているかもしれない。

初めて行った場所、初めてする会話…そういったものにデジャブを感じる。

そんな現象に対して思うことがある。

 

案外人生というのは何度も繰り返されているものなのではないかということ。

だからこそ初めてじゃなくて、残像があってデジャブを知覚する。

 

某アニメのエンドレス8という話では夏休みを何万回も繰り返している。

これは夏休み程度の時間の話だが、宇宙の始まりから終わりまでなのか?

自分が生まれてから死ぬまでなのか?

そのリピート間隔は不明だが、確実にリピートされていると仮定する。

すると、今の時間軸の初体験だとしても動揺の体験が例えば8753回目の

段階で体験していたとすれば、残像として知覚することがあるかもしれない。

これをデジャブと我々は呼ぶ。

そう考えるといろいろと合点がいく。

 

繰り返しのなかで起きたこと全てを引き継げないし、消え去ることもできない。

だからこそ断片的に残された記憶からデジャブを見つけることが出来る。

案外強くてコンテニューなんて所業ができているのかもしれない。

しかし、不完全とはいえ記憶が消去されているので違和感でしかない。

 

よって不完全で断片的な以前の記憶程度ではあまり人生に影響しない。

しかし、違和感としてデジャブを知覚することはあり得る。

 

などという稚拙で適当な妄想をして何の意味もないのだが、

たまには(いつも)くだらない妄想をすると憂さが多少晴れるのだ。

妄想は楽しい。

しかし、あまり度が過ぎると危ない。

幸いこれについてはデジャブは無い。

願わくば一か八かの賭けの際にデジャブが欲しい。

そうしたら全力で良い方に賭けるからw

 

例えば真面目な振りなんてのはするもんじゃない

文部科学省が統括して義務教育9年の何と素晴らしいことか、真面目な人格が形成されて自分でも根が真面目だと思い込んで20数年生きてきたが、それは間違いだった。

 

誰しもが高校や大学を経て社会人になり、定年まで勤めて年金を受け取って余生を過ごす。そんな当たり前で誰の迷惑にもならない人生モデルが幸福として目指されている。

しかし、皆が普通の人間…もとい型に当てはまるとは限らない。そんな人生モデルを選ばずに生きる人間が若干存在する。かくいう私もレールを外れた一人だ。

 

何か目標、夢があるわけではない。ただ何となく健康で楽しく生きられたら幸せだと思って日々生きている。高級車を乗り回し、豪邸に住むことに何の憧れもなければ、美女をはべらせて金にものを言わせることに対して何の羨ましさも感じない。

 

このように覇気も何も持たない若者(一応)なので落ち着いた青年だと思われている。それは相手の取り様であり、どうでも良いのだが、真面目だと思われるのが納得いかない。真面目な人間はしっかりと自分の人生に向き合って目標に向かって努力している人間を指すと思っている。だから何も期待しない、何も望まない人間っていうのは生きているが、活きていない存在だ。そいつを真面目なんて思われたら真面目に生きている人間に対して失礼だと思う。

 

かといって、特別自分が真面目に生きている人間より劣っているとは思っていない。むしろ真面目に先述の人生モデルを採用して生きている人間を滑稽だなとさえ思う。人の幸せは人それぞれだから正しい、間違いなんてことは断言できない。しかし、他の人間がこれまで似たように生きていた方法をわざわざ自分もそうする必要はない。人と違う個性と言うものがないのならば、毎年のように庭に生えてきて手を焼かせる雑草のようなもので、生きている意味があるのか?とまで言いたくなる。

 

さて、少し過激な発言であったが、一度きりの人生をあたり障り無い無難なもので済ましておきながら集まるとグダグダとタラレバ話を肴に酒を飲む人間にはイライラする。人は人生モデルとかけ離れた人間に対して尊敬のまなざしを向けるか、いずれ発表される人の不幸を心待ちにしている性根の腐った人間に二分される。それを見極めて自分を応援してくれるような前者の人間と付き合うためには、あえて真面目な振りなんてせずに私は変わり者ですとアピールするに限る。それに対して上からものを言い、つまらない人生モデルに引き込もうとする輩に対しては遠慮なく縁を切らせてもらう。応援してくれる貴重な人間に対しては必ず成功するべく、励みになると返し、力を貰う。

 

他人から勝手にイメージをつくられることは本来の自分からかけ離れていれば離れているほど面倒くさい。私は○○な人間です。なんて言う機会は顔合わせの自己紹介のときくらいしかないのだが、そこでカミングアウトしてしまえたらどんなに楽か。

そもそも他人の目を気にしてしまう時点で自分が他者と違う点に何か思うところがあるのだろう。しかし、それはいい結果には結びつかない。どこかで感化されてつまらない人生を選択してしまい、一度きりの人生が微妙なものに終わる可能性がある。まぁ極論を言ってしまえば人の人生の良さについての採点なんてのは自分が良いと思った内容で締めくくれたか否かという自己満足でしかない。そこに他人の意見を求めてはいないが色々言われると混乱するのがおかしいと思うだけ。

 

人生という長いようで短い喜劇における主人公は自分である。それをどう演じるかは人それぞれ。それは他人に左右されるものではなく、あくまで自分の自己責任で動かすものだ。だからこそ自分は○○な人間だというのを大切にしなくてはならない。十人十色とはよくいったもので、全く同じ人間など存在しない。人それぞれ色々な幸せの定義があるはずだ。だから自分の目指す幸せからかけ離れるようなレッテルを貼られないように自分というものをしっかりと打ち出して、他者から要らぬ誤解をされて面倒にならないことを心がけたい。

 

結びにこれまでの全てを打ち消すようだが、自分が違うと思えば人生の折り返しを過ぎても誰に遠慮することなく人生モデルに回帰しても誰も何も言わない。全ては最後に畳で往生する際に幸せだったなと思える人生を送れることに意味があり、その課程は華麗でも泥臭いものでも構わないのだ。自分に素直に生きる事に喜びを感じて一日を大切に過ごすことを心がけたいものだ。

【他人の日記なんて誰も見ない】見ず知らずの誰かを恐れる必要はない【自由に書くべし】

↑ なんてタイトルで今日は書いてみる。

年明けに7年?くらいつぶやいた内容を全部消した人間が言うのはおこがましいかもしれない。

 

しかし、万人受けする内容の日記、つぶやき、顔本、最近はインスタグラム?なんてあるの?

 

帰りに近所のお総菜屋さんで100円おまけしてもらいました!

なんて公開すると、心無い人は100円で喜ぶなんて貧乏臭いwって思うかもしれない。

 

海外留学をしたいから英語の勉強を始めました!

なんて公開すると、心無い人は英語を甘く見るな!どうせ諦めるだろwって内心思っているかもしれない。

 

などと考える=被害妄想を膨らませれば例え何を発信しようとしてもアンチが沸くことに恐怖を覚えてしまい、当たり障りのない内容…

 

しまいにはそれすら億劫に感じて何も発信しなくなってしまうのではないだろうか?

 

まず会うことが無い、実体の知れない何者かに遠慮して自分の感じていること、思っていることを出し惜しみすることは非常にもったいない。

 

発信がきっかけで何か出会いがあったり、仕事に結びついたりが無くなる。

何もしなければ何も生み出されることは無い。

 

1人の厄介者より100人の理解者を!

 

確かに面識の無い誰かに誹謗中傷を受けることは面と向かって何かを言われるより辛いと思う。

 

それでも好きに何かを発信することで敵より味方の方が上回るはずだ。

公序良俗に反しない内容であることはいわずもがな)

 

さて、グダグダ書いてしまったがまとめよう。

 

不特定多数に怯えるくらいならそもそもブログ等はしない。

会わない人間に媚を売る必要は無い。

書いた内容にいちゃもんつける輩は少なからず沸くが無視。

書く前から今日は…と悩まずに書ければ早く寝られる。

つまり、サクサク発信すれば健康に!

 

※個人の見解であり、その効果を実証するには多少のコツが要ります。

※似た思想を持つ人がより上手く記事にしているかもしれません。

※手前に言われるまでもなく好きにやってるわwという方に陳謝。

※最後まで読んでくれた方へ、貴重な時間をありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サボり方のすすめ

先日の昼下がり、実は俺って毎日やる気を持続して発揮できないことに気がついた。

ブログ自体も毎日更新なんてできていないことからお察しなのだが…

 

さて、そんなやる気の無い日に仕事なんて手に着かないので「仕事しているフリ」を

しなければならない。(いやw働けよks)

 

そこで俺がお勧めするのはエクセルで間取りの描写をすること。

やり方は簡単。

 

まず、セルの幅と高さを同じピクセル数に揃えて方眼紙状にする。(俺は20ピクセル

そしたら好きなアニメや、自宅の間取りをトレースする。

畳の縦横比が1:2なので罫線を引いて長方形を描く。

その長方形が畳一枚に相当するので、組み合わせて部屋にする。

 

ここで描いている部屋は俯瞰図なので割りとあっという間に描ける。

これを断面図なり、立面図で描こうとすると良い暇潰しになる。

 

まぁCADが無いからエクセルで無理やり何か描いているだけだったんだけど、

らんま1/2の天道家の間取りなんて一度描き出すと中々奥が深い。

 

高橋留美子は建築家じゃないからアニメ・漫画の間取りを再現すると、

つじつまが合わない。

 

それを、何とか合うように部屋の大きさ、廊下の幅を工夫しだすと止まらない。

次に描こうと思うのは「めぞん一刻」の一刻館だ。

 

と、間取りを描いているうちに就業時間があっという間に過ぎて帰ることが出来る。

注意しなければならないのは、同僚に画面を見られないことだ。

 

その都度画面を切り替えるか、保存してエクセル毎閉じるか。

発覚しないように細心の注意をしなければならない。

 

それはそれでスパイをしているみたいで面白い。

と、ガチクズエピソードはこれくらいにして

 

仕事のやりすぎも体の毒だから世間ではクズ行為だとしても

自分なりにストレスと向き合って潰れないように。

 

あ、前提として仕事を終わらせている或いは目処が立って余裕がある場合に限る。

午前中に終わらせる仕事が10時とかに終わったら2時間サボるって具合が良い。

 

まぁ能力が査定されて給与が決められてしまう職場だとホントにあいつに任せた

仕事はこちらが言った期限までかかるな…

と、締め切りより1時間早めに申し出てチェックを受けて修正して納める。

ここまでが本来の上司の言う締め切りだから2時間もサボれないんだけどね。

 

あまり昇給や出世に興味が無い割り切りサラリーマンにはサボりはサプリだ。

ストレスを軽減させながら必要以上に働かないスタンスって人にお勧め。

 

サボりというのは悪ではない。

サボりをうまく取り入れて明るく楽しく働いているフリをして給与を貰う。

それで何かを買って食べて命をつないでいるに過ぎない。

 

生きるために仕方なく働いている俺からしたらサボらずに働ける人はすごいと思う。

尊敬はしないけど、サボることができないなんて大丈夫?って思う。

どこかでガス抜き、息抜きしないとしんどくない?

 

あぁ、手から和菓子が出せるようになりたい。

 

 

土日祝日と無縁の生活アレコレ

土日祝日を休めない(希望による)ため平日が最たる休みである俺は、

ラーメンを食べに行くと定休日であることが多々ある。

 

土日に混雑している飲食店をはじめ、商用施設に近づけないことは俺

にとって良い事ではある。

 

しかし、定休日が月曜日や火曜日に設定されている飲食店は多いので

案外食べに行ける日自体を無くしてしまった様だ。

 

そのほかの弊害としては、友人とどこかに遊びに行くことができなく

なったこと。

 

カレンダーどおり土日祝日が休みの彼らと俺の休みは合わない。

だから付き合いがほとんどなくなった。

 

彼女が居たらデートなんぞできるわけがない。

ひとり何かを楽しめるのなら別に構わないのだが…

 

出不精ではあるが、出かけると道や飲食店が空いている。

あまり人が居ないというのは心地よい。

 

定休日さえ把握しておけば足を運んで無駄足にならずに済む。

そこは頭を使わなければならないところ。

 

その環境に身を置く者として、適応できるようにする。

適応できないとストレスが溜まって不平不満だけが募る。

 

上手く休めないとそれだけで損だ。

人と違う休日を与えられていることを有効活用せねば。