読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もずWrite

アラサーで始める備忘録

出稼ぎ税を提案する

東京23区などの人口が多い都市圏においては仕事も数多あるものと考えるが、

人口の流出が止まらない田舎は仕事が全然無い。

 

その少ない仕事を街をまたいで通勤して従事している人らが居る。

ただでさえ少ない椅子を取り合っているのだから地元の人間は職にあぶれて他所へ出稼ぎに行かなければならない。

すると、通勤に片道1時間以上要するためマイカーは必須となる。

公共交通網が都会に比べて衰退かお陀仏状態なので1人につき1台車が要るのだから田舎のディーラーは儲かってしょうがない。

そして通勤時間帯は我先に出社せん、帰宅せんと速度超過は当たり前。長距離を運転すればそれだけ排ガスも出る。

これで良いのだろうか?

街は住民の職場を他所の街から来る人間においそれと提供して良いのだろうか?

よほど優秀な人間ならさておき、街に会社にとって必要な人材なんていくらでも居るだろうに。

それなら無駄に通勤手当を支給せず、近場に住まう地元民を雇おう。

労働者にとっても17時過ぎにあがって帰宅が18時前後と、早く帰り早く休めるではないか。疲れた体で更に帰宅するために疲労を招く運転をして帰る。なんと愚かなことか?

会社のある街に住民票がない従業員からは、その距離に応じて逆に地元民から職を奪っているという名目で出稼ぎ税を徴収すべき。

その基準としては出稼ぎしてもらってでも欲しい人材か否かという点で判断する。

別にどこにでも居る普通の人を雇えばいいのなら、わざわざ課税されてまで働きに来るドMは居るまい。

なんてことを帰宅中に追い越し車線と走行車線を駆使してジグザグに運転しているナンバーの車を見て思う。

そんなに必死に急いで帰るより、近場に仕事を求めれば良いのに…と。

あ、ヤバイ人だから地元からあぶれて出稼ぎに来ているのね。

そういうことですか…。

仮にそうだとしても○○ナンバーの車が地元の道を荒らしているわ。

 

こちとら住民流出が止まらぬ人口○万そこそこの市だけども、お前ら人口10倍以上ある大都市だろ?そこに就職して職を、椅子を取らないでくれたまえ。

 

出稼ぎ税が導入されたら○○ナンバーが減るのかな?

それとも産業が衰退して皆でお陀仏かな?

思いつきなのであまりマジレスはいらんけども…

 

幸せになる努力

この国では良い大学を出て、良い会社に勤めれば安泰だという人生モデルが長らく推奨されてきた。と、勝手に思っている。


何となく大学に入ったが、受験を終えて燃え尽きる奴。

やりたいことがあり、入学後も一生懸命な奴。

やりたいことがあるが、大学は必要ない奴。

諸事情により大学に通えない奴。


色んな進路がこの時点であり、この先も何となく就職するのか?

何社落ちても果敢に夢を追うのか?

明確に違いが出てくるのは就職だろう。

またこれからの人生の歩み方は、

エスカレーターかロッククライミングかの違いに大きく分けられるだろう。


黙って乗っていても目的地に着くのと、

その都度最善を尽くさなければ落ちる人生とでは、後者の人間が頑張っているのは明らか。

目的地が適当、道中もぬるいままが決して悪いことではない。

しかし、何もしなければ何も手に入らないのが真理とするならば、ロッククライミングしたほうが得るものは多い。


今現在特に目的地がない奴は崖の上を目指せとは言わない。

向こうに見える木まで辿り着こうとか、軽い挑戦から始めて、徐々にステップアップする。

ここでやってはいけないのが他人と比較すること。

できる奴は何をやらせても上手くやってのけるし、出来の悪い奴は時間がかかるのは人類誕生から今日までずっと変わらない事。


他所様は他所様と、マイペースに幸福を求めて何ら問題ない。


何をしても自由、しなくても自由。

そこに立ち返って自分なりに幸せになる努力を


田舎と都会

田舎に住んでいる者として何となく都会と違う点を挙げて住み良いのはどちらかを考えてみる。

 

田舎はそもそも人口が少ないので仕事自体が椅子取りゲームのそれであり、就職するには職種もさることながら会社があまり無い。

 

中には日本の産業を支えるシェアの高い優良企業もあるが、ほとんどが中小ないし零細企業であり、給与は低くボーナスが期待できない会社も存在する。

 

会社の数が少ないので、住んでいる街ではなく隣町、或いは更に隔てた都市に通勤しなければならないため通勤時間が長い。

 

もちろん公共交通機関はお陀仏なのでマイカー通勤が必須であり、マイカーを用意しなければ働きに行くことさえ叶わない。

 

当然ながら車は給油しなければならず、また車検や重量税などの維持費が嵩む。それは通勤手当で微量ながら補えるが、ほぼ自腹でまかなわなければならない。

 

何年も乗っていれば車を買い替えなければならず、それは軽自動車なのか?SUVなのか?何に乗るのかにもよるが、今は軽自動車でも100万円を越す。

 

田舎であっても皆が持ち家とは限らず、通勤の距離や諸事情でアパートなどの賃貸住居で暮らす。その場合は立地条件が良ければ当然高い家賃であることは都会と変わりないことであるが、先ほど述べた自動車の維持費があるので支出はできるだけ抑えたい。

 

ここまで色々と記述してきたが、

車の維持管理費>>>電車通勤に係るお金

であることは単純明快であり、住居費は田舎と都会にさほど違いは無いと仮定すれば、

田舎の給与が都会より高い水準でなければ豊かにはなれない。

 

しかし、田舎も漏れなく核家族化が定着している。

実家住まいなら生活費を家に入れて自由に使えるお金が割りと発生するのだが…

夫だけの給与でやっていけることはごく稀であり、基本は共働きだ。

パートをする職場というのも都会のそれと違い少ない。

都会より良い点は保育所・幼稚園の待機児童が居ないか少ないことくらいか?

 

また、花の金曜日だのプレミアムフライデーとマスコミは言うが、

車社会の田舎において飲酒は代行かタクシーを呼ぶ羽目になる。

仕事終わりに飲みに行くような店があるか無いかにもよるが、

基本的に家にまっすぐ帰って晩酌する他ない。

なぜなら終電・バスは早い時間になくなり、帰宅困難だから。

私の住んでいる街は終電・バスが20時だ。

18時から飲んでも2時間未満で切り上げなければアウト。

二次会?それは迎えを呼ぶかネカフェに泊まることを考えないとダメ。

 

さて、学生の頃は都会で社会人になってからは田舎という生活経験から比較してみたのだが、おおよそ当てはまるようなものになったと思う。

 

田舎の良さはもちろんあるのだが、人口流失が物語るように住みよい場所へ移るのは必定である。それを改善せんと自治体も必死であり、効果があって人口が増えた例もあるが、まだまだ過疎化は歯止めが利かず地方の衰退は今後も首長の頭を悩ませる問題であり続けるであろう。

 

 

楽しいという基準(後半)

趣味も仕事も楽しいという基準で続けるか否かという話の続き

 

趣味に関しては先回述べたように、付き合いで仕方なくやっているくらいなら

悪いことは言わない。辞める勇気を出してやめるべきと申し上げた。

 

仕事に関しても同様に、楽しいと思えないのなら転職して天職を見つけること

を目指してはどうか?と。

 

さて、楽しいと思える・思えないの境界は?

楽しいと思えるとしたらなぜなのか?

これを考えてみようと思う。

 

楽しいと思える境界についてはストレスの度合いによるものだと考える。

仕事に対して全くストレスが無い人間は居ないと思うが、あまりにストレス

を感じているのなら、仕事を楽しむことはできないだろう。

 

通勤が苦痛、上司に叱られる・折り合いが悪い、客とはいえ横暴な振る舞い

が耐え難い…など

 

例えば10個の項目を設けて半分以上をストレスに感じていたら、あなたは

ストレスを受けるために朝起きて家に帰るまでを過ごしていることになる。

そこに楽しさがない以上はどう考えても苦痛でしかない。

 

反対に仕事にやりがいを感じ、苦痛とは思わないような人は向いているか

ら上手くいく、あるいは上手くいく努力を怠らず、またそれを苦痛と思わ

ない。ここまで書くと受け取り様じゃないか?とも取れる。

 

少し脱線するが、アリにも働きアリとサボりアリとが居る。

何割かは忘れたが、働きアリを他へやるとサボりアリが働きアリ化する。

受け取り様とはいったが、働きアリタイプで働くことは自然な人と、サボ

りアリの様にサボることでは人間社会生きてはいけないが、仕事を苦痛に

感じる人に分類できるのではないか?

 

そう考えると働くことが苦でない人と、苦に感じてはいるが頑張る人、

まったく働かないニートなど、いろいろ居ても不思議ではない。

自分がどのタイプなのかわかれば多少救われるかもしれない。

 

働きアリにとって働くことは楽しい

サボりアリは嫌々働くか、まったく働かない

 

自分が後者だとわかったら

決して仕事が楽しくない、苦痛に感じるということは悪ではない。

むしろ自然なことであり、楽な仕事、多少向いている仕事を探すなど

ストレス軽減を。

たとえ仕事は楽しくないとしても人生は楽しくしたいものだ。

そういう努力をする方が無理に仕事を好きになろうとするより健全。

サボりアリにとって仕事は苦役なのだから。

 

サボりアリでも、いつか仕事を楽しめるようになれたとしたら、

それは働きアリになったときかもしれない。

そんな日が来るのか来ないのかは人それぞれであるが、

やはり気の持ち様、受け入れ様なのだろう。

 

どうしたら楽しく働くことが出来るのか?

次回はこの辺をもっと考えてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

楽しいという基準

趣味や仕事、他愛の無い会話など

それをして楽しいと思えるか否かは非常に重要だと思う。

 

友達の趣味と合わせて自分もソレを楽しんでいると錯覚しているだけで、

実はちっとも楽しくないなんて経験は無いだろうか?

 

合わなければやめてしまえばそれで良い。

たったそれだけのことができないことは多々ある。

 

何故か?

しがらみがあるから。

 

自分で見つけた趣味がイマイチなら自分勝手にやめて他の趣味に走る。

これは非常に簡単でいつでも誰でも実践できることだ。

 

しかし、友達または上司など他人から勧められてサークルの様な扱いの

場に顔を出すことになると非常に面倒くさい。

 

会社を辞めるだとか、部活を辞めるだとか…

先ほどの「やめる」ではなく「辞める」になった途端にハードルが上がった。

 

それでも人付き合いで嫌々続けるか否か

それはあなた次第だが、あまり余暇の時間=自由な時間の浪費は関心しない。

 

たとえその趣味を違うものに変えたところで極端な話しぬわけではない。

趣味を変えるか、趣味を楽しむ仲間を新たに見つける。

それで他人と仲が悪くなってあれこれ悩むなら縁を切るのも手である。

趣味>>>ウザい友人

人間関係の話はまた別の機会に触れるとするが、楽しめないものはやめよう。

 

さて、次に仕事が楽しくなかったらどうするか?

まぁそうは言っても割り切ってサラリーのために働いている人がほとんどだろう。

かくいう俺もそのひとりだ。

 

会社勤めなんてのは定年まで居ると40年くらいになってしまう。

それを楽しめないのは苦行以外の何ものでもない。

 

特にわが国は転職することが非常に難しいとされており、職を転々として天職を

見つけようなんていう冒険は普通の人はしない。

 

しかし、働いている人の多くが仕事に関する悩みで苦しんでいることは今更言う

までもない事実であり、これを解消できれば人生はより豊かなものになるだろう。

 

そのために今回は楽しいという基準で判断してみることにした。

楽しいという感情はどこから、何によって生まれるのか?

それは次回に任せるとしよう。

 

 

 

この世に生を受けたからには

何か人の為、世の為になるようなことを成したいと思う。

そうでなければ生を受けたのに「もったいない」

 

それが結婚して子供ができて、立派に独り立ちさせて…ということ。

あらゆる人を幸福にする何かを開発した、発明したこと。

そのどちらも尊いことだ。

 

しかし、俺は今特別気にかけなければならない嫁と子供は居ない。

少子高齢化が社会問題の日本においては結婚していない加担者の側である。

ならば人・世の為に何か貢献することで存在意義を示すしかない。

 

今の仕事を考えると、決して万人の為の仕事ではない。

一部の生涯学習に興味が会って訪れる人。

小中学生が地域学習の為に学校の授業の一環で連れて来られる場合にのみ、その存在意義があり、多くの人を相手にする仕事ではない。

 

どうせやるならデッカイことをしよう。

 

これに尽きると思う。

NOと言えない日本人ではないのではっきり言う。

今の仕事は限られた人だけを相手にする、郷土愛がなければやっていけない仕事だ。

それに従事し続けられるほど郷土愛は持ち合わせていない。

どちらかといえばお金の為に仕事をするスタンスなので、楽しめないのはダメ。

ならば、楽しくて万人に貢献できる仕事をすれば良いじゃん。

すると、大成するかしないかはさておき、ロボット工学を大学で学んだ身としてはこれを研究開発していくことに人生の時間を費やしたいと思うのだ。

そうなると世の中の為というのは表向きで、自分が楽しめる人生にしたいということが主軸となる。

もちろんタダで研究開発はできないので金を得るために策を弄さなければならない。

けど、そちらの方がよっぽども嫌々仕事するより健全かつ意味があるという考えだ。

 

先人が残した文化を継承して語り継ぐことも素晴らしいことだ。

それを否定しない。

やりたいかどうかと問われたら「やりたくない」だけのこと。

 

もっと研究してガ○ダムみたいなのをつくったり、ア○ムつくったり、T-80○つくったり…新しいことを手がけたい。すべては自分が楽しいと思えることのために。

 

友達の良し悪し

春ですね。

一年生ですね。

ともだち100人できるかな?

 

友達って何だ?

調べると、

「互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。」

だそうだ。

 

ふーん。

じゃあ休みの予定を合わせてどこかにいく場合、こちらが相手の都合に合わせてばかりいるとしたらそもそも対等じゃないよね?

それって友達じゃないんじゃない?

 

かくいう俺は土日が休みの人向けの仕事をしているので、月曜日と他の曜日が休みだ。

だから他人との休みが合わない。

 

そんな中で旅行をしようという計画をすると、決まって俺が土日の休みに合わせて休みを取る形になる。

 

そりゃ、テメェらは土日が休みだから良いだろうよw

けど、俺は土日が仕事だっつーのw

 

というわけで、こちらの休みを配慮しない奴ってのは友達じゃないよ。

 

もちろん最近のことになるが、コイツとはFO。

こちらから連絡をする事は二度とない。

 

変わって年に何度でもないが、予定を合わせて近況報告会という名の飲み会をする高校の友人たち。

この人たちは予定を合わせて、こちらの勤務形態に理解を示して約束をドタキャンすることのないいたって普通の良識のある人間だ。

 

後者の人間は就職を機に上京して離れてはいるが、心の距離は近い間柄。

前者は地元同士であるが、心は離れていて二度と縮まらない間柄。

 

どちらが友達と呼べるかは明白であるが、

シンプルな話、自分を大切にしてくれない奴なんて縁を断てってこと。

 

その方がお互い傷つけることも、傷つけられることもない。

そりゃ同じ年に生まれて、同じ箱(教室)に押し込まれた手前仲良くなることがあったかもしれないが、永遠不滅というわけではない。

 

彼氏彼女ができて別れる事があるように、人間には出会いと別れが当然の事。

別れはマイナスでなく、むしろプラスであると知っていれば腐れ縁で悩むことは無い。

 

あぁ、コイツと一緒に居ても楽しくないな・得をしないな…

そう思ったら縁を切ることに躊躇しない。

 

「互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。」

 

そう思える人間と長く付き合いたいものだ。