読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もずWrite

アラサーで始める備忘録

例えば真面目な振りなんてのはするもんじゃない

文部科学省が統括して義務教育9年の何と素晴らしいことか、真面目な人格が形成されて自分でも根が真面目だと思い込んで20数年生きてきたが、それは間違いだった。

 

誰しもが高校や大学を経て社会人になり、定年まで勤めて年金を受け取って余生を過ごす。そんな当たり前で誰の迷惑にもならない人生モデルが幸福として目指されている。

しかし、皆が普通の人間…もとい型に当てはまるとは限らない。そんな人生モデルを選ばずに生きる人間が若干存在する。かくいう私もレールを外れた一人だ。

 

何か目標、夢があるわけではない。ただ何となく健康で楽しく生きられたら幸せだと思って日々生きている。高級車を乗り回し、豪邸に住むことに何の憧れもなければ、美女をはべらせて金にものを言わせることに対して何の羨ましさも感じない。

 

このように覇気も何も持たない若者(一応)なので落ち着いた青年だと思われている。それは相手の取り様であり、どうでも良いのだが、真面目だと思われるのが納得いかない。真面目な人間はしっかりと自分の人生に向き合って目標に向かって努力している人間を指すと思っている。だから何も期待しない、何も望まない人間っていうのは生きているが、活きていない存在だ。そいつを真面目なんて思われたら真面目に生きている人間に対して失礼だと思う。

 

かといって、特別自分が真面目に生きている人間より劣っているとは思っていない。むしろ真面目に先述の人生モデルを採用して生きている人間を滑稽だなとさえ思う。人の幸せは人それぞれだから正しい、間違いなんてことは断言できない。しかし、他の人間がこれまで似たように生きていた方法をわざわざ自分もそうする必要はない。人と違う個性と言うものがないのならば、毎年のように庭に生えてきて手を焼かせる雑草のようなもので、生きている意味があるのか?とまで言いたくなる。

 

さて、少し過激な発言であったが、一度きりの人生をあたり障り無い無難なもので済ましておきながら集まるとグダグダとタラレバ話を肴に酒を飲む人間にはイライラする。人は人生モデルとかけ離れた人間に対して尊敬のまなざしを向けるか、いずれ発表される人の不幸を心待ちにしている性根の腐った人間に二分される。それを見極めて自分を応援してくれるような前者の人間と付き合うためには、あえて真面目な振りなんてせずに私は変わり者ですとアピールするに限る。それに対して上からものを言い、つまらない人生モデルに引き込もうとする輩に対しては遠慮なく縁を切らせてもらう。応援してくれる貴重な人間に対しては必ず成功するべく、励みになると返し、力を貰う。

 

他人から勝手にイメージをつくられることは本来の自分からかけ離れていれば離れているほど面倒くさい。私は○○な人間です。なんて言う機会は顔合わせの自己紹介のときくらいしかないのだが、そこでカミングアウトしてしまえたらどんなに楽か。

そもそも他人の目を気にしてしまう時点で自分が他者と違う点に何か思うところがあるのだろう。しかし、それはいい結果には結びつかない。どこかで感化されてつまらない人生を選択してしまい、一度きりの人生が微妙なものに終わる可能性がある。まぁ極論を言ってしまえば人の人生の良さについての採点なんてのは自分が良いと思った内容で締めくくれたか否かという自己満足でしかない。そこに他人の意見を求めてはいないが色々言われると混乱するのがおかしいと思うだけ。

 

人生という長いようで短い喜劇における主人公は自分である。それをどう演じるかは人それぞれ。それは他人に左右されるものではなく、あくまで自分の自己責任で動かすものだ。だからこそ自分は○○な人間だというのを大切にしなくてはならない。十人十色とはよくいったもので、全く同じ人間など存在しない。人それぞれ色々な幸せの定義があるはずだ。だから自分の目指す幸せからかけ離れるようなレッテルを貼られないように自分というものをしっかりと打ち出して、他者から要らぬ誤解をされて面倒にならないことを心がけたい。

 

結びにこれまでの全てを打ち消すようだが、自分が違うと思えば人生の折り返しを過ぎても誰に遠慮することなく人生モデルに回帰しても誰も何も言わない。全ては最後に畳で往生する際に幸せだったなと思える人生を送れることに意味があり、その課程は華麗でも泥臭いものでも構わないのだ。自分に素直に生きる事に喜びを感じて一日を大切に過ごすことを心がけたいものだ。