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もずWrite

アラサーで始める備忘録

デジャブについての考察

我々は割と10年後や50年後くらいの未来からタイムリープしているかもしれない。

初めて行った場所、初めてする会話…そういったものにデジャブを感じる。

そんな現象に対して思うことがある。

 

案外人生というのは何度も繰り返されているものなのではないかということ。

だからこそ初めてじゃなくて、残像があってデジャブを知覚する。

 

某アニメのエンドレス8という話では夏休みを何万回も繰り返している。

これは夏休み程度の時間の話だが、宇宙の始まりから終わりまでなのか?

自分が生まれてから死ぬまでなのか?

そのリピート間隔は不明だが、確実にリピートされていると仮定する。

すると、今の時間軸の初体験だとしても動揺の体験が例えば8753回目の

段階で体験していたとすれば、残像として知覚することがあるかもしれない。

これをデジャブと我々は呼ぶ。

そう考えるといろいろと合点がいく。

 

繰り返しのなかで起きたこと全てを引き継げないし、消え去ることもできない。

だからこそ断片的に残された記憶からデジャブを見つけることが出来る。

案外強くてコンテニューなんて所業ができているのかもしれない。

しかし、不完全とはいえ記憶が消去されているので違和感でしかない。

 

よって不完全で断片的な以前の記憶程度ではあまり人生に影響しない。

しかし、違和感としてデジャブを知覚することはあり得る。

 

などという稚拙で適当な妄想をして何の意味もないのだが、

たまには(いつも)くだらない妄想をすると憂さが多少晴れるのだ。

妄想は楽しい。

しかし、あまり度が過ぎると危ない。

幸いこれについてはデジャブは無い。

願わくば一か八かの賭けの際にデジャブが欲しい。

そうしたら全力で良い方に賭けるからw